「ともすれば」

すよさんが色々語るよ

メタ視点と妄想がすぎるリヴァジク語り

以前にくるっぷで書いてた内容をサルベージし加筆修正。

 

ジークは「正しい選択」「期待されている自分」を意識して軸がブレるタイプだけどリヴァイさんは「選択に正しいも悪いもない、だから選ぶときは後悔しない方、その生き方をしたいと思う方」という人間万事塞翁が馬的な考え方と絶対にブレない軸があるので強い。

そしてそれは全編通して「父と子の確執」をいろんな形で繰り返している進撃を見るに、原作者の中に何かあるのでは、という視点からのリヴァジク語り。

 

全編通して「父と子の確執」をいろんな形で繰り返している進撃、どうしても原作者の中に何かあるのではと思えまして。そして一番そこがクローズアップされてるジークって「親や周囲の期待に応えられない、『ふつう』になれない自分を責める自分」にあたるのかなーと。ここまで言うとメタ過ぎるかなって思うけど。

で、リヴァイさんの生き方が原作者さんの「反対されても将来が不安定でも誰も背中を押してくれなくても、後悔しないために漫画家目指す」と選んだ部分だと。実際は町山さんと先輩がいてくれたわけですが。

そういう視点で行くと、兵長がジークにとって、向かい合うのが死ぬほど辛くて怖いけど最後救いになった形に見えるのは当然のことになり。

だから俳優パロであんなに戦士長が兵士長に懐いてるのかな…?あの謎の仲良し度は、自己否定の自分(ジーク)を自分自身の「後悔しない選択」(リヴァイ)が救ったからかもしれないなぁと。
先生の中にいたジークがリヴァイに救われてあんなに生き生きしてるなら、すごくよかったです。ほんわかします。
あとリヴァジクが一緒に過ごすとああなる、という答えがでてるようで公式が最大手。心が潤う。

いや全部妄想だけど。妄想及ぶ範囲が「このときの作者の気持ちを答えよ」まで及んできてきますね。こわいですね。

 

まあせっかくだからゴリゴリ語りますが、ジークがどれだけ「生まれてこないほうが幸せ」と思っていても、生まれてきてしまったからには「どう生きるか」の選択から逃げられない。自殺でもしない限り…いや、自殺すらどう死ぬか=どう生きるかの選択であるから、まさに血濡れの兵長のごとく追ってくる命題です。

追っている兵長はたぶん「自分自身が本当に望む選択」。逃げても絶対に消えてくれないし、妥協して諦めた自分を常に苦しめてくる。しかしその存在を認めて、受け入れてともに歩めば生きること自体に前向きになれる。

自分の本音でやりたいと思って選んだことをするとき、一番生きているのが楽しいし、自己肯定できますからね(これは持論)

作中のジークが、どう生きるか=どう死ぬか、を「兵長に斬られる」にもっていった意味をこの流れで紐解くと、自分の生きたい道を選ぶという思い切った厳しい決断で、やりたいことを諦め自己否定する自分を解放したってことになります。

なかなか面白い結論になりリヴァジクバンザイにもなり、満足。